甲子園で準決勝まで12打数ノーヒットの私が、準決勝、決勝で9打数7安打した理由

甲子園で準決勝まで12打数ノーヒットの私が、準決勝、決勝で9打数7安打した理由

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みなさんこんにちは

街の人事課 くまです🧸

今日は私が高校時代に経験した、

大きな経験の一つをご紹介させていただきます。

 

私は15歳の時に、

地元を離れ県外の高校へ進みました。

そして日々甲子園を目指し厳しい環境で生活を行っていました。

 

そんな私が初めて甲子園に出場したのは

高校1年の夏の甲子園でした。

 

と言っても当時の私はメンバー外で

スタンドで先輩達を必死に応援していました。

 

応援する一方で、複雑な心境でした。

目の前で甲子園の土の上を全力で駆け回る先輩達を見てどこか羨ましく嫉妬心に近いものがありました。

 

いつか、俺もあの舞台に立ちたい。

注目される選手になりたい。

 

それから時は流れ、高校2年の秋

県大会、九州大会と我が高校は快進撃を重ね

九州大会準優勝に輝きました。

私個人としても大会を通して4本のホームランを打ち、九州大会準優勝に微力ながら貢献しました。

 

 

そして

 

 

 

そして

 

 

 

 

 

そして九州大会準優勝の甲斐もあり

春の選抜高校野球選手権大会への

出場が決まりました‼︎

 

ようやく

 

ようやく

 

あの舞台に立つことが出来る

 

そんな喜び絶頂の私たちを襲ったのが

東日本大震災でした。

初めて知ったのは選抜に向けての取材を

受けているそんな時でした。

 

「テレビを付けて‼︎」

「早く電話を‼︎」

 

慌しくなる取材関係者の方々

 

テレビを付けると信じられないような

光景が目の前には広がっていました

 

流される家屋 街を襲う濁流

高台を目指して走る人々

今でも鮮明に覚えています

 

 

甲子園は開催するべきではない

非常識過ぎる

なぜそこまでして開催する必要が?

 

多くの声が上がりました。

私達も甲子園は開催されないものだと

思っていました。

 

しかし、

「私達にできることは野球しかない」

「東北の人々に勇気と笑顔を届けたい」

 

そんな思いから開催が決まったのが

その年の春の選抜大会でした。

 

いつもの甲子園では想像出来ない

まばらなスタンド

鳴り物のない応援席

とにかく異質な大会でした

 

そんな甲子園

 

我が高校は初戦、二回戦、三回戦

激戦を繰り広げ勝ちを重ねていきます

 

対する私はやることなすこと上手くいかず

3試合を終えて12打数0安打

チームは史上初の1イニング3本塁打

記録するなど下馬表を覆す快進撃でした

 

準優勝の前の日

 

練習場では私のポジションだけ

6人が守備についていました。笑

 

 

事実上のスタメン降板でした。

 

 

その夜

 

出番はないと分かっていながら

宿舎の外で1人バットを振っていました

 

9時過ぎ

部長に呼ばれ

 

「お前一生懸命やれるんか?

結果なんかいらん、みんなの為に

一生懸命やれるんか?」

 

一瞬でたくさんのことを考えた

 

「やらせてください

やれます。」

 

すると部長から

「監督はお前を信頼してる

だからスタメンは変えるつもりはない

監督に感謝しろよ」

 

すると一気に自分の中を何かが

駆け巡ったのを覚えています

 

 

次の日

 

相手は後に夏の甲子園で全国制覇を

することになる日大三高

 

その日の記憶を正直あまりない

 

ただ、1打席目でセンター前ヒットを

打った私はそこから立て続けに4安打した

 

 

結果なんて考えずとにかく

一生懸命、今自分に出来る精一杯の力で

グランドを駆け抜けた

 

この年最強と言われた日大三高に唯一

公式戦で勝ったのがこの試合だった

 

 

次の日の決勝

試合は負けてしまった

 

しかしながらこの日も3安打

試合は負けてしまったがチーム一丸と

なって最後まで諦めず全力で

グランドを駆け抜けた。

 

出来ないことなんてない。

諦めることなんてない。

今日がダメでも明日がある。

 

自分が諦めない限り必ず成功は待っている

 

そして、あなたが頑張っていることも

必ず誰がが見てくれているはず

 

努力は見せるものではなく

自分の為にするものだと

 

努力は必ず報われると教えてもらった

貴重な経験でした🧸🧸🧸